Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

三島由紀夫『肉体の学校』1964

元男爵夫人の女性が、美しい顔とからだを持つゲイバーのバーテンに入れ込む話。本作を基にした、ブノワ・ジャコ(Benoît Jacquot)によるフランス映画もある。

話の構成力は流石の一流である。私は小説を読みながら要所要所で話の行きつく先を、つまり結末を予想してしまう面白くない癖を持っているのだけれど、そんな私を2度3度裏切る、あるいは予想の上をゆく。最後まで愉しませてくれる三島には感謝しかない。

恋愛の繊細な心理描写が素晴らしい。三島は殊に女性の内省を描くのが大変上手だけれど、何故かな。男は太宰の小説に出てきそうであった。決定的に違うのは、勝利するのが女であって、男が醜態を晒す終りを迎えるところ。太宰が描く「男」は、太宰の自己投影であって、陶酔の強い太宰に、それを壊すことはできないんだろう。

もう1点気になったのは、ゲイボーイの照子という人間。人として完全無欠過ぎるのが気になった。

ナプキンについた口紅がちらと目の隅に映ると、彼女には接吻にあとの身じまいのときのような、狂おしい勇気が湧いた。つまりそのあとは、もうどうなってもいいような。

 

薹が立つ 若い盛りの時期が過ぎること
容喙 横から口出しをすること
リューとした 服装などが立派で際立っていること、東京方言
千篇一律 どれもこれも代りばえがせず、面白みがないこと
肺腑を抉る 心の奥底に衝撃を与えること
間歇的 一定の時間をおいて起ったり止んだりすること