植物園へ行った。バラが綺麗だった。
アンドレ・ジッド『田園交響楽(La symphonie pastorale)』1919
動物的で虱の湧く盲目の娘(ジェルトリュードと名付けられる)を、慈悲の心から引取った牧師。娘は牧師の下で教育を授かり、美しく心豊かな女へと変身した。牧師は妻と家族を持つ身でありながら、無意識的に彼女を愛するようになる。娘は娘で、意識的に牧師を愛していた。やがて2人は罪を犯す。厳格な教理に縛られない、自由なキリスト者であるジッドの聖書解釈がモチーフとなっている作品。
「ジュルトリュード。…お前は自分の愛を罪だと思うのかい?」
思わず哀願の調子が私の声にこもった。いっぽう彼女は、息もつがずに言い切った。
「でもやっぱりあたし、あなたのことは思い切れまいと思うの」
20201027日記
鴨川へ出かけた。川辺のベンチに寝ころび太陽の光を浴びながら3時間ほど読書した。北向きのじめっとしたアパートの1室にいるよりも余程気持ちが良い。
日が暮れてきたので喫茶店へと移動した。今や貴重な喫煙可能店。周りを見渡すと、みな煙草を呑んでいた。なぜこの人たちは煙草を吸うのかと考えた。
人が煙草を吸うのは、それをかっこいいと思っているからだ。煙草の裏にある何かしらのストーリーに惹かれているのだ。そう考えると少し深みが出てくる。
僕の場合はどうだろう。思うに1960代のフランスへの憧れがある。
停滞した社会・芸術を打壊し、新しいものを作り上げようとする人々の力強さ。相当に楽観主義的ではあるが、それゆえ創造へ向かう気持ちに余裕ができて、人々の個性が輝いている。人々が大学で、喫茶店で、バーで、そうした個性を衝突させる時、片手に携えていたもの。それが煙草だ。
ヌーヴォーリッシュ(nouveau riche) 成り金
メリー・ウィドウ(merry widow) 陽気な未亡人
委曲を尽くす 細かな所まで行き届かせる
pain in the neck 悩みの種
匕首(あいくち) 鍔の無い短刀
アルベール・カミュ『異邦人(L'Étranger)』1942
社会の倫理や道徳から逸脱した男が、「異邦人」のようにして扱われ、社会から抹消される。社会的通念に対する「諦め」。「怒り」ではないのだ。繰り返される「そんなものに何の意味があろう」という言葉が印象的である。
「それではあなたは何の希望ももたず、完全に死んでゆくと考えながら、生きているのですか?」
「そうです」と私は答えた。
アルベール・カミュ(Albert Camus)1913-60
シューマン『交響曲第4番ニ短調op.120』1841
1841年のクララの誕生日。ロベルトが妻に捧げた交響曲。力強く舞踏的な第3楽章が好み。
ルルーシュ『男と女(un homme et une femme)』1966
「フランス映画らしさ」とは。
クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch)監督作。カイネ・デュ・シネマ誌から冷遇を受け、長いこと日の目をみなかったルルーシュが、その実力、美学を世界に知らしめた作品。1966年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール。
映像の洗練。史上最高の雰囲気映画。『モンパルナスの灯』から幾年。34歳になつたアヌーク・エーメ(Anouk Aimée)の美くしさに惹かれる。
20201016日記
コートの注文を済ませた。黒のバルカラーベルテッド。仕上がり迄ひと月程待たねばならない。仕立て屋は、僕が今日どのようなコートをオーダーする積りであるかを、初めの会話でピタリと当ててきた。これには全く感心させられた。普段の僕のファッションや、オーダー履歴から推測したらしい。テイラー。面白そうな仕事だと思う。僕は完全に仕事選びを間違えた。
arse licker ご機嫌とり
grub 幼虫
stymie 妨害する
sissy 女々しい少年