Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

ワーグナー『ロオエングリン(Lohengrin)』高木卓譯

1845年、『タンホイザー』で疲労困憊したワーグナーは、ボヘミアのマリエンバードに保養していた。毎朝ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ叙事詩を脇に抱えて、森へ出かけたという。

ワーグナーははじめ、ヴォルフラムの手が入った『ロオエングリン』伝説に芸術価値を認めていなかったが、徐々に伝説それ自体が含む高貴で素朴な単純さを、換言すれば「中世の完全な像」を認識する様になる。烈しい感動に搏たれた彼は、療養中である事を忘れて昂奮の裡に台本を書き始めた。

歌劇の初演は1850年、友人フランツ・リスト指揮のもとワイマールの宮廷歌劇場にて。1848年に総譜は完成していたのであるが、同年ドレスデンの革命運動に参加して亡命生活に入ったこともあり、発表が遅れた。

 

私の犠牲を贖ふただ一つのものは
そなたの愛の中にもとめるよりほかはない
だからいつまでも疑いの心をおこさずに 
そなたの愛の保障を私が誇れるやうにしておくれ

 

女性の好奇心が破局をもたらす、という筋に眩惑されがちだが、『ロオエングリン』の悲劇性はもっと根源的な處にある。

即ちロオエングリンとエルザとの恋は、神に背くものであったという事である。ロオエングリンは聖杯(Graal。Caliceではない)に仕える騎士である一方、エルザは王族ではあるが、所詮は世俗の人間。2人が結ばれる為には、ロオエングリンが自らの神格を抛棄しなければならないのだが、それは云うまでもなく不可能な事であり、悲劇的結末が必然であるのだ。

此処に至って聴衆(読者)は初めて、ロオエングリンの葛藤を理解するだろう。

 

上記の神格と人間とが交わる事の不可能を敷衍して、『ロオエングリン』には「天才」と民衆が交わる不可能を嘆くワーグナーの自己告白が秘められているのだと云う論評は、一寸面白かった。

 

次に新国立で『ロオエングリン』が上演されるのはいつだろう。