Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

リラダン『未来のイヴ(L'Ève future)』1879

御冗談でせう!「美」といふものは「藝術」と人間の霊魂の問題です!

 

1880年のこと『ル・ゴロワ(Le Gaulois)』紙上にて、公に発表された。赤貧の貴族ヴィリエ・ド・リラダン唯一の長編小説。反ブルジョワ精神の結晶。私が読んだのは、東京創元社出版、斎藤磯雄訳の『未来のイヴ』。

「勝利のヴィナスの壮麗をそのまま人間に移したような」無類の美貌に耀く恋人アリシヤ・クラリイの、「肉体とは全く無脈絡な」恐るべき魂の卑俗さに悩まされ、遂に絶望のあまり自殺しようとする英国の青年貴族エワルドのために、「科学」の英雄エディソンが、「その肉体からその魂を取除く」ことを引受ける物語。

永遠の女性を求める男が「機械仕掛けの女」を求めるに終るという「皮肉」、ではない。我らが英雄ヴィリエは、当世流行りの俗悪な、「生きた女」こそ虚しき存在であることを、エディソン博士に代弁させ、見事に立証してみせた。

この小説が第二次産業革命の最中に書かれたとは信じられぬ。作中に登場する、さまざまな空想上の「科学的発明品」。21世紀になって漸く実現しつつあるような代物まである。ヴィリエは科学万能主義を忌み嫌っていたのであるが、その想像力たるや。十字軍士を祖先に持ち、自らも軽薄な進歩主義に対抗する戦士たらんとしたヴィリエ、「彼を知り己を知れば百戦殆からず」という兵法の実践であろうか。

ただ、本作品の冗漫さは、まあ認めねばなるまい。ハダリーの身体の説明は必要であったか? ヴィリエの思想のエッセンスが見事に結晶しているのは、戯曲や短編小説の方だと云うべきだろう。『アクセル』、『ヴィラ』、『サンチマンタリスム』、『至上の愛』などなど。

とは言いつつも、私は本作品を高く評価したい。全く読んでいて心が満ちる、高潔な話だ。斎藤磯雄氏の典雅な翻訳が相乗効果を生んでいる。斎藤先生、貴方が生きていらしたら、私はこの世界を少しは好いていたでしょうに。

猶お、ブルジョワ女のモデルとなったのは、アンナ・アイリー・パウエル(Anna Eyre Powells)なる英国女性。さぞ美しく、俗悪な人物であったのだろう。

 

20210724初読
20211015再読
20220327再々読

 

引用

御冗談でせう!「美」といふものは「藝術」と人間の霊魂の問題です!(p.196)

私は自分といふものを真剣に考へるといふ風変りな考へを堅持して失ひたくないと思つてゐるのです。それに、私の一門に傳はる銘句(エピグラム)はかうですから。ヨシヤ人ミナ屈スルトモ、我ノミハ否。(p.308)

≪あれは夢の中のことなのだ!錯覚なのだ!…≫とかなんとか。かういふ混濁した言葉の重みで満足してしまつて、あなたは御自身が超自然的なものであるといふ感覚を、軽率にもお心の中で弱めておしまひになるのです。(p.339)

あの人たちのことを考へたために、少しばかりあの人たちのやうになるのを避けるやう、用心致しませうね。(p.346)

暗澹たる偶像よ、私は世を避けてあなたと一緒に暮す覚悟を決めた!私は人間を辞職する、時代も流れ去るがよい!それといふのも、二人の女を較べてみると、確実に、生きている女の方こそ幻だと、今しがた気がついたからだ。(p.353)

two-timer 不貞者
hook up 付き合ふ

枉げる(おしまげる) 「枉げてお許し願います」
渾名(あだな)
緒言(しょげん) 序文
風馬牛(ふうばぎゅう) 自身と関係がないといふような態度
欣んで(よろこんで)
諫言(かんげん) 目上の人に忠告すること
喋喋喃喃(ちょうちょうなんなん) 親しげに話しあふさま
抑抑(そもそも) 
アベラシオン(aberration) 収差
嬋娟(せんけん) 容姿の艶やかで美しいさま
ともがら 仲間
けざやかに はっきりしている
石部金吉(いしべきんきち) 非常に生真面目で女色に惑わされない人
ユパス 南国に産する樹木で強い毒を持つと考えられていた
久遠(くおん) 永遠
可惜夜(あたらよ) 明けてしまうのが惜しい、素晴らしい夜
愁眉を開く 心配事がなくなって安心する
三行半(みくだりはん) 男から女への離縁状
グラチネ フランス料理、グラタンのこと
詛い(のろい)
落胤(らくいん)