Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

ポオ『天邪鬼(The imp of the perverse)』1845 

ここに、最も重要なことがある。己惚れた世紀に生れ、他のあらゆる国民に較べて最も己惚れた国民の兒であるこの作家が、人間本然の邪悪を明瞭に見、平然と確言した、といふことを我々は注意したい。彼は言ふ、人間の裡には、近代哲学が考量に入れたがらぬ神秘な或る力がある。さりながら、この名状しがたき力、この始源の性向なくしては、人間の夥しい行動が、説明せられず、また説明出来ずに了つてしまふであらう。人間の行動は、それが悪であり危険であればこそ魅力があり、深遠の蠱惑を持つのだ。此の始源の抗しがたい力こそ本然の≪邪悪≫である。(ボオドレエル「再びポオに就いて」)

ポオこそ、斯の楽観の国に於て、人類の宿命的不合理性を確言した、はじめての作家ではなかったか。

・経験的な見方をした場合、人間行為のうちには逆説なあるもの、『天邪鬼』が存在する。
・この存在に刺激されて、人間は目的なしに行動(無動機の動因)することがある。
・換言すれば、人間は「そうしてはならないからこそ、かえってそれをする」。
ある行為が悪であり、罪であるというその確信のみが、その行為を犯させる、唯一の、打ち勝ち難い原動力となっている場合が決して珍しくはない。
・この場合には、幸福でありたい欲望が起らないのみか、むしろ反対の強い感情がある。
・『天邪鬼』は、悪魔の直接使嗾と考えるより他なく、この発作に襲われたら最期、人間は決して打ち勝ち得ない。

文学の面で、彼(ポオ)は初めて『天邪鬼』という象徴的な標題のもとに、人間の意志では知り得ない、あの抑えがたい衝動を探究した。また彼は、(…)意志の上にはたらく恐怖の圧倒的な支配力について、世人の注意を促した。とは言えないまでも、初めてこれを口にした、とは少なくとも言えるであろう。『さかしま』