Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

リラダン『トリビュラ・ボノメ(Tribulat Bonhomet)』1887

信仰の思想を凌駕せるは猶思想の本能を凌駕せるがごとし
                     -スウェーデンボルグ

東京創元社より斎藤磯雄氏の翻譯。
トリュビラ・ボノメ博士。その心は実用主義、折衷主義、進歩主義で芸術家嫌悪。「白鳥を殺す輩」。そうしたボノメが、不滅の霊魂に関心を寄せるクレエル・ルノワールとの交流を通して「神秘」に遭遇。クレエルは死を以て「彼岸」の存在を証しする。

ヴィリエは自身が軽蔑する人種、「常識」の代表としてトリビュラ・ボノメを、ヘーゲル流の観念論者、すなわち「学問」の代表としてセゼール・ルノワールを、「信仰」の代表としてクレエル・ルノワールを置いた。この三者による深遠な議論。

 

全くですね!その神聖なる常識の前に頭を下げませうよ。世紀の変るごとに常に意見を変へ、その本領たるや、生れつき、霊魂といふ名をさへも憎悪するところにある、その「常識」の前にね。

 

要するに(と吾輩は言つた)、実際的かつ実証的な領域に於て、さういふお見事千萬な思辯のすべては一体何の役に立つのですかな。

 

選擇しなければならないのですから最善のものを擇びませう。そして「信仰」があらゆる現実の唯一の基礎であります以上、神を擇びませう、「学問」がその流儀でこのやうな現象の諸々の法則をわたくしに説明しても無益でございませう、依然としてわたくしは、その現象の中に、唯わたくしの魂を向上せしめ得るものをのみ観、魂を低下せしめ得るものを見ないでせうから。

 

クレエルの知性は、深い、澄みきつた鏡であつて、そこには唯崇高な真理しか映らない、讃歎すべき彼女の為人を永久に愛するのは私の誇りだ。

 

「汝はおのれを何者と信ずるのか」

「現代精神にひそむ下心のつもりでございます。」