Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

中江兆民「土著兵論」1888

 「土著兵論(どちゃくへいろん)」と称された民兵制の導入を説く議論。1888年5月16日から18日に渡り自由民権派の『東雲新聞』上に掲載された。兆民が常日頃から主張していた「平民主義(人民の権利の平等)」と「経済主義(経済合理性の追求)」。これらに軍制を合致させるには「常備軍」を廃止し「民兵制」を採る他ないと主張する。

 

 兆民の認識では(また極めて正確なことだが)、19世紀の国際社会はパワーポリティクスの渦中にある。ゆえに国家は軍隊を持たざるを得ない。
 しかし徴兵制を採る常備軍に於いて、戦場で血を流すのはいつも貧しい人民である。多く税金を納める富裕層の子弟は兵役を免除されており、これが果たして平等だろうか。また常備兵を養うために、多額の税が投入される。これが果たして経済的だろうか。
 この点民兵制とは、平時国民は各々の仕事に従事し、有事の際に皆が武器を取る制度であるから、平等性と経済性が担保されるのだ。

  しかしこのような指摘がされる。「目下、軍事と藩閥政府の関係が緊密であるから、この関係を断ち、且つ全国各地に武庫を配置するのでは、人民の反乱が心配される」と。
 兆民は反駁する。もし藩閥政府が軍隊との関係を利用し、悪政を行っているのであれば話は別であるが、そのような事実はない。そうした状況で反乱を起こす臣民ではないと。だから政軍の関係を放っても問題はない。

 現在薩長出身の者が権力を握っているのは、維新の功績もあって自然の成行である。それを在野の者は「薩長の者は軍事を押さえているから、強い権力を得ているのだ」と非難する。このようなつまらぬ疑いが出てくるのも、政治と軍事の癒着があるためだ。こうした猜疑心を解くためにも、政軍の関係は頒つべきである。