兆民は朝鮮に於ける壬午軍乱(1882年7月)に触発され「論外交」を書く。本文は1882年8月12日、15日、17日の3日間に渡り、自由党の党機関紙『自由新聞』上に掲載。明治政府の「富国強兵」策の矛盾を「経済」と「道徳」の観点から指摘し、小国が独立を保つ術としての「道義外交論」を展開した。
兆民は朝鮮に於ける壬午軍乱(1882年7月)に触発され「論外交」を書く。本文は1882年8月12日、15日、17日の3日間に渡り、自由党の党機関紙『自由新聞』上に掲載。明治政府の「富国強兵」策の矛盾を「経済」と「道徳」の観点から指摘し、小国が独立を保つ術としての「道義外交論」を展開した。