Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

三島由紀夫「自衛隊二分論」1969

三島がいうところの「現実主義的情勢論」しか論じられない私にとってみれば、「自主独立の精神」など眉唾物であるが。

 

主張の概略
日本の「自主防衛論」は「情勢論」。
全く現実的な見地でいえば、アメリカの強大な軍備に守られてこそ、ようやく日本の自主防衛ですらも可能になるというような状況。
自衛隊が果たして我々自身の軍隊であるかということに疑惑
どこで最終的にコントロールされるかという問題になれば、人はそれをアメリカ大統領ではないかという疑惑を禁じることはできない。

国内問題に類する(共産主義イデオロギーによる)間接侵略。
このような間接侵略事態に対処するには、国民の魂の防衛こそ必要。
間接侵略事態において我々は日本人として戦い、日本精神を盾として戦うのであって、その時に自衛隊がもし外国の指揮下における軍隊であったらこれほどやっかいなことはない
国民と自衛隊との間の間隙(かんげき)、齟齬、亀裂にこそまさに革命勢力の狙いが生かされてくる。

自衛隊を「国土防衛軍」と「国連警察予備軍」に分けよ。
現下日本は安保条約を通しての集団安全保障体制を捨てることはできない。また同時に、日本の経済的復興によって高揚してきたナショナリズムに立脚してきたところの国民精神の復興と、国民が自らの手で国を守ろうとする自主独立の精神をも無視することはできない。いかにしてこの2つを結合し、いかにしてこの2つに所あらしめるか

 

「国土防衛軍」スイスのような民兵組織やあるいは短期現役制度、その他の各種各様の志願兵制度と国民兵制度を結合して、自衛隊と国民兵との間の境界をさまざまなニュアンスを持たせて結びつけていく。あくまでも日本の国土を守り、間接侵略に対処するための(我々自身の)軍隊であって、いかなる外国とも条約を結ばない。
「国連警察予備軍」日本国土の外周を守り、ことに海上自衛隊はこれを増員して西太平洋全体を、日本の産業の重要な生命線である油の輸送路を確保し、外国からの侵略に備えて充分な防衛力を持つが、それはあくまで国連警察予備軍としての集団安全保障下の防衛体制に基づいてなすべきもの。アジアの集団安全保障体制の理念に培われ、ひいては世界自由主義諸国の集団保障の理念をその中核となす。