Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

ブラームスの愛(2)

 1853年9月ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムの紹介でブラームスシューマン夫妻の家庭を訪ねた。シューマンブラームスの楽才を認め、友情の手を差し伸べた。ブラームスシューマンのはからいに深く感謝し、彼に対し「わが主」と呼び掛けている。ブラームスの敬愛はシューマンの妻、クララにも及んでいた。

 ブラームス1854年8月21日のクララへの書簡に、シューマン夫妻を称えてこう記している。あなたがたのような人間やご夫妻は、ただ人間の最も美しい幻想の中にのみ存在すると考えていた。と。美しく気高く、更に最も重要なことに音楽を共有できる女性クララは、ブラームスの中で神聖化されていった。「あなた(クララ)から頂くものは、すべて神聖なものです。」の言葉からも、その見事な妄信ぶりが伺える。ブラームスがクララに対して(甘えるように)"Du"を呼びかけに用いる様嘆願したのも1854年のことである。これ程に自らを捧ぐことができる女の存在は男にとって幸福である。

 この時、既にシューマンは神経衰弱に陥っており、1854年2月ライン川に投身自殺を図った後はボン近郊で療養生活を送っていた。一方のクララも懐妊中であり、精神の消耗は限界に達していた。この間夫妻の間を繋いだのはブラームスであった。夫の療養費、子供の養育費をピアノ演奏によって賄うことを決めたクララを、彼は細やかな心遣いをもって支えた。ブラームスは日ごとに手紙を綴った。シューマンの見舞い、その子供たちの世話、あらゆるシューマン家の家政を、21歳のブラームスは見事にこなした。この好青年を誰が愛さずにいられようか。

 

 

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シューマンの主題による変奏曲 Op.9 嬰ヘ短調(1854年)
シューマンへの敬意とクララへの慰めを、ブラームスはこの変奏曲に込めた。