Epistula ad mē

美というものは、芸術と人間の霊魂の問題である

ブラームスの愛(1)

愛を1本の線で表現するのならば、その極には肉と宗教がある。崇高な愛は宗教の形を取り、それは真の意味で利他的なイエスの愛に限りなく近い。

ブラームスといえば、バッハ、ベートーベンと並んでドイツの3大Bと称される大作曲家であり、厳粛なイメージに満ちている。ブラームスルイージ・ケルビーニを尊敬し、しばしば自らを、ベートーベンが評価されるとともに世間から忘れ去られたケルビーニと重ねた。いわく「私は現代のケルビーニにすぎない」と。

実際彼の作品は、19世紀当時ウィーン及びドイツを圧巻していた「未来の音楽」(リスト、ワーグナーが属するワイマール学派の別称)と相容れぬ所があった。彼は自らを秩序の番人とでも看做していたのだろうか。彼の交響曲4番はバロック的ですらある。

こうした背景からか、人々はブラームスをして、「気難しい老人」と早合点しがちである。こうした判断を下す時、人はブラームスが持つ人格の二面性を無視している。確かに彼は皮肉屋である。しかし同時に彼は、子供に対する深い哀れみの心を持っていた。シューマン夫妻の子供たちの間で、ブラームス青年は常に人気者であったように。

次回以降、ブラームスクララ・シューマンとの書簡を辿り、彼の隠れた一面を探っていきたいと思う。

 

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