Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

ミハイル・グリンカ『皇帝に捧げた命(Жизнь за царя)』1836

『皇帝に捧げた命(Жизнь за царя)』はミハイル・グリンカ(Михаил Иванович Глинка)が作曲したロシア・オペラである。ロシア情緒が溢れるこの作品は、ロシア国民主義音楽の先駆的存在と云えよう。専制・正教・国民性からなる「官製国民性」の原理と合致する作品であるため、帝政時代には盛んに演奏され、革命後もイヴァン・スサーニン(Иван Сусани)と名前及び台本は変更されたものの、ロシア人に愛され続けた。そしてそれは現代でも変わらず、ボリショイ・オペラとマリインスキー・オペラにとって重要なレパートリーの1つであり続けている。ここでは序曲を紹介する。

 

音楽評論家のニコライ・メリグーノフ(Николай Александрович Мельгунов)が「グリンカの音楽は最初の8小節でそれと分かる」と述べているが、それはこの序曲についても言える。丁度8小節目に始まるオーボエとそれに続くチェロによる感傷的メロディーはロシア風のロマンに満ちている。

全体の構成はイタリア・オペラ風である。グリンカは1830~1833にかけてイタリアを遊学しているが、この時期イタリアはまさしくベルカント・オペラの最盛期にあって、彼自身もベッリーニドニゼッティ、そしてロッシーニのオペラを大いに愉しみ、学んだのである。それらのオペラを主題とした変奏曲を彼は幾つか残している。

しかしグリンカは、彼自身の回顧録でイタリア遊学をこう総括した。
「イタリアでの私の作曲の仕事は上手くいったとは言えない。イタリア人の"Sentimento brillante"(幸福な感情)を感じることは私にとって困難なことであった。私がミラノで作曲した作品は、私が自身の道を歩んでいないこと、私がロシア人であるということを納得させてくれた」と。

グリンカのイタリアでの所々の経験は、彼に祖国への想いを募らせることとなり、それが真のロシア・オペラ『皇帝に捧げた命』の作曲に帰結した。