Mon Cœur Mis à Nu

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

カトリック聖歌集105番『来ませ救ひ主』

Lentも第6週を迎へてゐるが、本日紹介するのはAdventに歌はれるホ短調の聖歌。ヨハン・マッテゾンはこの調に就いて沈思的、悲しみ、痛みと述べてゐるが、この聖歌には相応しい調である。

この聖歌に歌はれてゐるのは、人類の大いなる罪への悔恨と、キリストが到来し人類を罪より解き放ち給うこと、即ち救ひへの希望とである。罪増す所恩寵もいや増せりと述べたのは聖パウロであつた。この聖歌を佳く歌ふ人は、人類にとつての上記二つの重大事を、正しく認識してゐる。私がこの聖歌を好む理由も、この歌が人類の最たる理智と賢明なる判断力とを示すものだからである。

それに詞の文語調も比類なく美くしい。斯様な美を惜し気もなく拋棄する現代人はdevilishである。

 

【歌詞】

1 来ませ救ひ主 憐れみ給ひて
  罪科に沈む 我を助けませ
  よろこべ諸人 主は来たり給もう

2 来ませ救ひ主 君が光もて
  道ゆき惑へる 民を照らしませ
  よろこべ諸人 主は来たり給もう

3 来ませ救ひ主 愛の御翼に
  我らをはぐくみ 涙ぬぐひませ
  よろこべ諸人 主は来たり給もう

 

音源は下記のリンクから。

 

doratomo.jp

 

 

 

Lent is now in its sixth week, and today I present a chant in the key of E minor, which is sung in Advent. Johann Mattheson describes this key as pensive, sad and painful, which is truly appropriate for this chant.
The chant is about the contrition of mankind for its great sins and the hope of Christ's coming to free mankind from sin, that is, salvation. It was St Paul who said that where sin increases, grace also increases. The person who sings this hymn well recognises two important things for mankind. The reason I like this chant is that it shows mankind's greatest wisdom and wise judgment.
And the literary style of the lyrics is also incomparably beautiful. I must say that modern men who ungrudgingly abandon such beauty are insane.

 

 

 

リヒャルト・シュトラウス『ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 』1888

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リヒャルト・シュトラウスが遺した唯一のヴィオロンソナタ。3月になると思ひ出す。或る人が好んで弾いてゐたのだ。彼女はヴィオロン奏者であつた。彼女は深碧色のドレスでステージに立ち、いつも不機嫌さうに演奏するのだ。私の前でバッハを弾く時には笑ふのに。

 

彼女には不思議な魅力があつた。何故彼女のやうに素晴らしい感性を持つた人と離れなければならなかつたのか。

 

『アスペルジェスメ(Asperges me)』カトリック聖歌集501

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主日、神田教会でミサに與る。本日が七旬節なので暫くグロリアは聴けなくなる。

 

さて「アスペルジェス・メ(Asperges me)」とは、ミサ前の灌水式で歌はれる交唱である。今日の「新しいミサ」を執り行ふ教会で聴く事はないだらう。といふのは第2バチカン公会議で現地語ミサ(Vernacluar Liturgies)が導入されると同時に、灌水式は姿を消したから。在りし日の記録として、カトリック聖歌集の501番には本曲が収録されてゐる。

なお詩は、詩篇51の7と1、そして栄頌から取られてゐる。

 

Asperges me, Domine, hyssopo et mundabor,
主よヒソプをもて我を浄め給へ、さらば我浄まらん

Lavabis me, et super nivem dealbabor.
我を洗ひ給へ、さらば我雪よりも白からん

Miserere mei, Deus,
神よ我を憐れみ給へ

secundum magnam misericordiam tuam.
汝の憐れみの多きによりて

Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto
願はくは、聖父と聖子と聖霊とに栄へあらんことを

Sicut erat in principio, et nunc, et semper,
始めにありし如く今もいつも

et in saecula saeculorum. Amen.
世々に至るまで、アーメン

 

参考まで、灌水が了つた後に司祭と会衆は以下の言葉を交はす。

 

司: Ostende nobis, Domine, misericordiam tuam.
主よ、我等に憐れみを示し

会: Et salutare tuum da nobis.
我等に救ひを賜へかし

司: Domine exaudi orationem meam.
主よ、願はくは我が祈りを聞き、

会: Et clamor meus ad te veniat.
我が叫びに耳をかたぶけ給へ

司: Dominus vobiscum.
主は汝らと偕に

会: Et cum spiritu tuo.
また司祭の靈と偕に

司: Oremus
祈りましよう

 

救い主を育てた母/アルマ・レデンプトリス・マーテル(Alma Redemptoris Mater)

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アルマ・レデンプトリス・マーテルはカトリック教会の聖母賛歌。低劣卑陋なる日本の教会では忘れ去られてゐるが、フランスに於ては彌撒の終りによく歌はれてゐた。先唱の"ALMA"に、会衆の歌が続く。

おゝ巴里よ。斯の地のオルグの高揚が既に懐かしい。

 

Alma Redemptóris Máter,
贖ひ主を育てし母よ、
quæ pérvia caéli porta mánes,
天の開かれし門と留まる方よ、
Et stélla máris,
海の星よ、
succúrre cadénti súrgere qui cúrat pópulo:
起きむとするが倒れるる民を助け給へ。
Tu quæ genuísti, natúra miránte, túum sánctum Genitórem:
大自然の驚く中、天主の聖子を産み給うた御身は、
Virgo prius ac postérius,
産前も産後も童貞なり。
Gabriélis ab óre súmens íllud Ave,
大天使ガブリエルの口より、かの「めでたし」の言葉を受けた方、
peccatórum miserére.
罪人らを憐れみ給へ。

 

buffeted 繰返し打たれる
furore 大騒ぎ
secularism 世俗主義
manly 男らしい
人品庸陋(じんぴんようろう) 人柄が卑しい
abdicate 退位する
head-on 正面対決
dented 傷ついた
congregation 宗教的集会
moral degeneration 人心低下
エチュベ 素材の水分だけで蒸し煮する調理法
ブレゼ 半分浸かる程度の水分で蒸し煮する料理法
ポシェ 液体の中でゆっくり煮込む調理法、コンフィもその一種。
crypte クリプト、教会地下の納骨堂
formule(仏) セットメニュー
comptoir(仏) カウンター、商会
stipend 聖職者の俸給
emmental(仏) エメンタールチーズ
roquefort(仏) ロックフォールチーズ
chèvre chaud(仏) 山羊チーズ
sacristy 聖具室
village assembly 村の寄合い
genuflect 跪く
homily 神父の説教
by any chance ひょっとして
accueil(仏) 案内、受け入れ、歓迎
brochette(仏) 串焼き
champognon(仏) きのこ
miel(仏) 蜂蜜
person of principle 信念の人、高潔な人
huître(仏) 牡蠣
apiary 養蜂場
get hip to に通じる
tongue and groove 溝と隆起、さはねぎ継ぎ
pop round 立ち寄る
get a life もっとマシな人生を生きろ=くだらない

 

 

シューマン「美しい五月に(Im wunderschönen Monat Mai)」『詩人の恋(Dichterliebe)』1840

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Im wunderschönen Monat Mai,
五月てふ麗はしき月に
Als alle Knospen sprangen,
冬籠りの蕾咲き出づる
Da ist in meinem Herzen
そして我が胸裡に
Die Liebe aufgegangen.
ゆくりなく愛は灯りぬ

 

Im wunderschönen Monat Mai,
五月てふ麗はしき月に
Als alle Vögel sangen,
鳥共はみなともに歌ふ
Da hab ich ihr gestanden
そして我、君に告げぬ
Mein Sehnen und Verlangen.
我が胸裡に秘めし想ひを

 

『ナチス・ドイツに於る音楽(Music in Nazi Germany)』DW Documentary

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"Music in Nazi Germany"なるDeutsche Welleのドキュメンタリー。「おすすめ動画」として出て来たので視聴。フルトヴェングラーワーグナーユダヤ人、バイロイトアウシュヴィッツ=ビルケナウ。話を敷衍した割に、Music is immortalと云ふ漠たる結論で了はつてゐるのは学問として下等だと思ふ。それでも綺麗な復元映像が私の目を愉しませたので、視聴の甲斐はあつた。

 

ナチス政権下、フルトヴェングラーがドイツに残留した事を以て(帝国音楽院副総裁を一時的乍ら務めた)、彼を讒言する者が居る。彼の"moral degeneration"だと、窮めて失礼な事を云ふ輩も居る。私はそれを不当に感じてゐた。このドキュメンタリーが私と同じ立場を取つてゐる事を嬉しく思ふ。

 

彼はドイツの芸術家だ。真の芸術家が世俗の悲惨に囚はれる事はないのだ。彼は暗澹たる可限世界に在つて、嚠喨たる無限の音楽を創造し続けた。ベートーヴェンにも比肩する英雄ではないか。アメリカに亡命し、叡智もなければ魂もない成上り者共のまへに立ち、三流オーケストラの指揮をする? 斯やうな事は不可能であつたに違ひない。

 

私はヒットラーが羨ましい。フルトヴェングラーバイロイトで指揮するワーグナー、恐らくワーグナー自身の構想に最も適合する演奏を、一等席で聴く機会に恵まれたのだから。私は思ふ、ヒットラーはこの一事を以て、彼の野望を完遂したのではないか。

 

他、小ネタとして面白く思つたのは、ヒットラー生誕祭のイヴにはベートーヴェン第九の演奏会があつたと云ふ事。ワーグナー家とヒットラーとの間に、家族のやうな親交があつたと云ふ事。

 

 

フォーレ「メリザンドの歌(Chanson de Mélisande)」『ペレアスとメリザンド(Pelléas et Mélisande)』1901

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モーリス・メーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』、英訳版の劇付随音楽。第三幕第二場、塔の窓際に坐すメリザンドが、光の束のやうな美くしい金色の髪を、くしけずり乍ら歌ふ「王様の三人の盲の娘」。これはロレイン・ハント・リーバーソンの録音。

 

The King's three blind daughters
Sit locked in a hold.
In the darkness their lamps
Make a glimmer of gold.

王様の三人の盲の娘は
牢に囚はれ坐つてゐます
彼女たちのランプは
くらやみに金色の薄明りを放ちます

Up the stair of the turret
The sisters are gone.
Seven days they wait there
And the lamps they burn on.

塔のきざはしを
娘たちはのぼつて行きます
ランプの明りを守り乍ら
七日七夜待つてゐるのです

What hope? says the first,
And leans o'er the flame.
I hear our lamps burning.
O yet if he came!

希望とは?
炎にかがみ込み一人目は云ひました

私、ランプの明りが聞こえる
おゝ、もしあの人が来てくれるのなら

O hope! says the second.
Was that the lamp's flare,
Or a sound of low footsteps?
The Prince on the stair!

おゝ、希望!二人目は云ひました
それはランプの明り 
それとも塔にいらせらる
王子さまの足音かしら

 

But the holiest sister
She turns her about:
O no hope now forever -
Our lamps are gone out.

しかし、いちばん清らかな娘、
彼女は振りかへり云ひました
永遠に希望はないの
私たちのランプはもう消えてゐるのよ

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これはエリー・アーメリングのもの。ドイツリートの卓越した録音を残した彼女、大変訛りが強い。glimmerと発音する際の舌の動きが、独nimmermehrの時と同じだ。

 

 

ワーグナー『パルジファル(Parsifal)』高木卓譯

偕に悩みてさとりゆく 純真無垢(Parsi)のおろかもの(Fal)
かかる男を待てよかし 我の選べる者なれば

 

パルジファル』はワーグナーの死の前年、1882年に完成しバイロイトで初演された。

作曲家は『パルジファル』を舞台神聖祝典劇(bühnenweihfestspiel)と銘し、他の歌劇と区別する。その理由は、『パルジファル』は聖体拝領の舞台化であり、素材に於て神聖であるからというのが一点。

だがそれ以上に『パルジファル』は、ワーグナー個人の芸術哲学に照らして神聖なのであった。何故なら本作は完璧なドラマと間断のないシンフォニー、これら二者を完全に調和せしめた作品であったから。

 

劇の内容について少し話すと、第一幕後半、聖杯儀式の場面の荘厳な事は、他の歌劇に類似を絶するし、第二幕、クンドリーの接吻でアムフォルタスの苦悩を悟ったパルジファルの叫びは、我等の心を激しく搏つ。

そして第三幕で為される「救済」が、殊更興味深い。従来のワーグナー作品に於ける「救済」とは「死」であった。例えば『トリスタンとイゾルデ』のそれが該当する。だが本作に於ける「救済」とは、パルジファルが聖杯の儀式を「復活」させた事。私はこれを、死を乗り越えたイエズス・キリストの「復活」の再現と読む事ができると考えている。

 

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ワーグナー『ロオエングリン(Lohengrin)』高木卓譯

1845年、『タンホイザー』で疲労困憊したワーグナーは、ボヘミアのマリエンバードに保養していた。毎朝ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ叙事詩を脇に抱えて、森へ出かけたという。

ワーグナーははじめ、ヴォルフラムの手が入った『ロオエングリン』伝説に芸術価値を認めていなかったが、徐々に伝説それ自体が含む高貴で素朴な単純さを、換言すれば「中世の完全な像」を認識する様になる。烈しい感動に搏たれた彼は、療養中である事を忘れて昂奮の裡に台本を書き始めた。

歌劇の初演は1850年、友人フランツ・リスト指揮のもとワイマールの宮廷歌劇場にて。1848年に総譜は完成していたのであるが、同年ドレスデンの革命運動に参加して亡命生活に入ったこともあり、発表が遅れた。

 

私の犠牲を贖ふただ一つのものは
そなたの愛の中にもとめるよりほかはない
だからいつまでも疑いの心をおこさずに 
そなたの愛の保障を私が誇れるやうにしておくれ

 

女性の好奇心が破局をもたらす、という筋に眩惑されがちだが、『ロオエングリン』の悲劇性はもっと根源的な處にある。

即ちロオエングリンとエルザとの恋は、神に背くものであったという事である。ロオエングリンは聖杯(Graal。Caliceではない)に仕える騎士である一方、エルザは王族ではあるが、所詮は世俗の人間。2人が結ばれる為には、ロオエングリンが自らの神格を抛棄しなければならないのだが、それは云うまでもなく不可能な事であり、悲劇的結末が必然であるのだ。

此処に至って聴衆(読者)は初めて、ロオエングリンの葛藤を理解するだろう。

 

上記の神格と人間とが交わる事の不可能を敷衍して、『ロオエングリン』には「天才」と民衆が交わる不可能を嘆くワーグナーの自己告白が秘められているのだと云う論評は、一寸面白かった。

 

次に新国立で『ロオエングリン』が上演されるのはいつだろう。

 

 

『Louange à Dieu, Très-Haut Seigneur(その聖所にて神をほめたたへよ)』

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動画はノートルダム大聖堂のミサ。その入祭唱で歌はれてゐるのがこの聖歌である。歌詞は詩篇第150篇のやうな神を賛美する内容だが、正確な出典は不明。

 

Louange à Dieu, Très-Haut Seigneur,
その聖所にて神をほめたたへよ

pour la beauté de ses exploits :
その麗しき業によりて

Par la musique et par nos voix, 
楽の音と我等の声もて

louange à Lui dans les hauteurs !
穹蒼にて主をほめたたへよ

 

Louange à Lui, puissance, honneur,
ほめたたへよ神を その全能を その栄光を

pour les actions de son amour :
その愛の業によりて

Au son du cor et du tambour,
角笛と鐃鈸もて

louange à Lui pour sa grandeur !
おほいなる主をほめたたへよ

 

Tout vient de Lui, tout est pour Lui :
悉皆は主によりて来り 悉皆は主のためにあり

harpes, cithares, louez-Le.
琴と筝もて神をたたへよ

Cordes et flûtes, chantez-Le : que tout vivant Le glorifie !
気息あるもの 絃簫もて 主のほまれをいざうたはん