Mon Cœur Mis à Nu / 赤裸の心

「美」といふものは「藝術」と人間の靈魂の問題である

20230114日記

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今日、この聖マクリナの記念日は、私の誕生日。大切な人々からの祝福を受けると、私の生涯も徒爾ではないのかもしれないと、そんな肯定感を覺える。良い日を過ごせた。

M.N.からのメッセージは嬉しかった。久方ぶりに彼女と話した。彼女と出逢って8年になる。当代浮薄の女人共は、端金と虚栄のため己が魂を売払う。その様や、支那人が鴉片一服のために女房を手放すよう。奴輩は我々男に似ているというよりかは、寧ろ動物に近い。だが彼女は異なる。その気高さや「永遠の女性」と呼ぶに相応しい。私は命のあらん限り、彼女の面影を忘れることは出来ないだろう。

 

夢想的なフェミニストは、蕩児よりも、遙かに激しく「女性」を侮蔑する。

 

濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』2021

濱口竜介監督作。村上春樹の2014年の同名小説が原作。アカデミー賞国際長編映画賞はじめ、国際的に高い評価を受けた。

「意識高い系フランス映画」の不肖の弟子みたいな印象。意味深長を気取り、のっぺりとした進行にするのであれば、アラン・レネのように音楽とか映像技法に拘りが欲しい。

 

 

2022年ベスト・オブ・ザ・フィルムズ

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2022年鑑賞映画一覧

作品名 監督名 公開年
生きる 黒澤明 1952
銀河英雄伝説 わが征くは星の大海 石黒昇 1988
サクリファイス タルコフスキー 1986
こころ 市村崑 1955
パッション メル・ギブソン 2004
山猫 ヴィスコンティ 1963
上海の伯爵夫人 アイヴォリー 2005
地獄に堕ちた勇者ども ヴィスコンティ 1969
聖バンサン モーリス・クロシュ 1947
カルメンという名の女 ゴダール 1983
細雪 市村崑 1983
炎上 市村崑 1958
ドリアン・グレイ オリバー・パーカー 2009
天使も許さぬ恋ゆえに スターリッジ 1991
If もしも… リンゼイ・アンダーソン 1968
モーリス アイヴォリー 1987
ハワーズ・エンド アイヴォリー 1992
決闘者 リドリー・スコット 1977
オフィサー・アンド・スパイ ポランスキー 2019
眺めのいい部屋 アイヴォリー 1986
外科室 坂東玉三郎 1991
エルネスト サルヴァトーレ・サンペリ 1979
二十四時間の情事 アラン・レネ 1959
去年マリエンバードで アラン・レネ 1961
ダントン アンジェイ・ワイダ 1983
シベリアの理髪師 ニキータ・ミハルコフ 1998
ノートルダムのせむし男 ジャン・ドラノワ 1956
天使のくれた時間 ブレット・ラトナー 2000
都会の一部屋 ジャック・ドゥミ 1982

20230103日記_碑文谷教會にて

晴れ。

偶には遠出しようと思い立ち、かねて見物したかったカトリック碑文谷教會まで出かけることにした。いつもの仏料理屋で晝餉を済ませて向かう積であったが生憎の満席だったので、(呪詛しつつ)腹を空かせたままメトロに乗り込む。

東横線内の事故により、本来20分の距離だが1時間近く乗車。学芸大学前で降りる。既に困憊していた為に車を拾おうと思ったが、楽して教会に向かうのは気が引けた。聞く處によれば徒歩15分の道程。歩くことにした。

25分近く歩いて漸く到着。敷地は広い。運動場があり、子供たちが遊んでいる。良い光景だ。私は常々、教會の鐘の調べと子供たちの声に優るハーモニーは、この世に無いと思っている。

會堂はWheel windowを具えたロマネスク式。夙川教會に似ている、つまり日本のカトリック教會に典型的なファサード。だが堂内の装飾は、万事質素な日本のカトリック教會でちょっと例を見ない。

正面に磔刑のイエズスを崇め奉り、正面左には悲しみの聖母のピエタ、右には聖ヨハネ・ボスコ像が設置されている。身廊をイエズスの生涯と諸聖人を描いた絵玻璃が囲繞する。紺碧のフレスコ画が壁面を飾り、天井からはロマネスクな釣燭台が下げられている。ここはイタリーか、はたビザンツか? 面白い場所だった、友人を連れて再訪しよう。

 

 

 

黑澤明『生きる』1952

近々、黑澤明監督『生きる』のリメイク作品が上映される。カズオ・イシグロの脚本で、英国を舞台にした物語になるという。

本作品観賞中は、日本固有の、済度し難い不変の世相を見ている気分になる。しかし黒澤が作品中で痛烈な非難を浴びせる「死に際に後悔するような生を送る人々」、「厚顔無恥な近代人」というのは、世界のどこにでも居るだろう。また「財産」の嫌な話も出てくる事だし、英国式に作替えても違和感なかろう。こうした題材はカズオ・イシグロの作風と抜群に相性が良いから、期待したい。

それにしても日本の古典映画は、それを観賞し終えた人間に、言い様のない虚しさを残してゆく。これはつまり当時の日本映画が、ドストエフスキーの如くに、「近代人の普遍的な不安」を描破している証左だ。あれ程日本的に見える『東京物語』に西洋人が共感を示すのは、そういう譯である。

 

ひとつ予測。役人共の浮薄さを強調する諷刺的な最期のシーンは、英国版ではカットされるだろう。全体としてheartwarming(薄ら寒い)な仕上がりとなっているに違いない。そうなっていたらスクリーンに唾してやりたい。

 

 

『銀河英雄伝説 わが征くは星の大海』1988

神の母聖マリアの祝日に、4Kリマスター版を池袋東宝で観賞。

4Kリマスターにすることで何がどう変わったのか、芸術的な向上はあるのか、正直よく分からない。徳間書店の商業主義の産物なんだろうなと思いつつも、やはり名作を大画面大音量で観賞できるという誘惑には抗えず。35年前のアニメーションである。劇場には中高年の(神経質そうな)紳士ばかり。

私はアニメーションをあまり観ない。香具師に劣らず無学な輩が無理して小難しい話を喋々しているのを見ると、怖気がするから。無論総てがそうだとは言わぬし、私如きに見下げられては、アニメーションも気の毒だ。アニメーションは今や、日本という斜陽国家を支えるソフト・パワーである。

そんな私だが『銀河英雄伝説』は好きである。百何篇あるアニメーションを、何度観直したか判らない。BGM感覚である。一体何が『銀河英雄伝説』を特別にしているのか。

まず、『銀河英雄伝説』には原作小説が存在するのであるが、該博な著者の史観・政治理論が散りばめられた、深遠な「文芸作品」としての性格を強調するためか、アニメーションに於てはアニメアニメした演出の一切が排されている。その結果、観賞者としては吹替洋画を観ているような心持になる。

更に、背景音楽にはワーグナーマーラーはじめ、厖大な種類のクラシック音楽(ドイツ・シャルプラッテンの録音)が使用されているのであるが、これが場面に応じて見事に使い分けされている。製作陣は余程クラシック音楽に造詣が深いのだろうと思う。

他にも色々要因はあるのだが、結論、製作陣の神経質な完璧主義(私はこれをダンディズムと呼ぼう)が、本アニメーションを芸術たらしめているため、私は『銀河英雄伝説』が好きなのだ。

 

本作と云えば、ニールセンの第4交響曲第4部アレグロである。

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渡邊一夫『ヴィリエ・ド・リラダン覺書』1940

弘文堂書房上梓。渡邊氏の研究は齋藤磯雄氏が全面的に引継いでおられるから、この本の内容に新しい事は無かったが、以下の渡邊氏の言葉にはと胸を突かれた。

僕はやゝもすれば、リラダンの「人間」としての美しさにほれぼれとして、「作品」自身の持つてゐる麗しさを看過してはゐまいかと懼れるのである。

つまり、作者を崇拝する余り、センチメンタルに作品を観じているのではないかという危惧である。大いにあり得ることだ。「麗しさ」もそうだが、「瑕瑾」を看過してはないか?

結論、偕に看過しているだろう。というより、私の場合は意図的にそうしている。何故か? その方が気持ち良いからだ。私は趣味で、魂を宥める目的で読書をしている。酔えれば事実などどうでもよいのだ。

 

20221229日記_離別

晴れ。

ベネディクト16世名誉教皇聖下の命旦夕に迫ると報道有り。聖下はカトリック教会の良心であらせらる。主よ、聖下を暫し現世に留め、聖下をして我々信徒を導かせ給へ。尤も聖下御自らは倏忽に常世へ移ることを願っておいでかもしれぬが。さもあれば聖下の望むままになれよかし。

 

もうひとつ悪い知らせ。
銀座の馴染みの仕立屋が店を閉めるという。二日前に決めたと、店主が言い難くそうに打ち明けた。双瞳に涙を湛えて。

仕方がないですね、といらえた私の対応は冷淡であったかもしれない。だが残念です、或いは続けてくださいと言うこともできまい。無念に思うは店主の方、私の幾倍であるし、畢竟、情で糊口は凌げないからである。

今時美くしいスーツを作ることに情熱を傾ける、気概ある良い仕立屋であった。だが現世のルールはご承知でしょう。崇高な信念を持つ者は弑され、悉皆の美は屠られる。貪婪で浮薄のヒトモドキに阿ることを拒んだ者の、これが最期か。

 

 

グレゴリオ聖歌_キリアーレ(Kyriale)について

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キリアーレ(Kyriale)とはグレゴリオ聖歌のミサ通常式文集のこと。18組のミサ曲が所収されており、例えば有名な天使ミサ(De Angelis)は8番、クム・ユビロ(Cum jubilo)は9番、オルビス・ファクトール(Orbis factor)は11番である。各々どの祝日に歌われるのか決められており、対象日を下に記したが、細かい處までは判らなかった。ローマ・カトリック典礼Liber Usualisを読むか、ソレムの修道士にでも訊ねてみることだ。

 

1番: Lux et origo<ルックス・エト・オリゴ>...復活節
2番: Kyrie fons bonitatis<キリエ・フォンス・ボニタティス>...一級祝日
3番: Kyrie Deus sempiterne<キリエ・デウス・センピテルン>...一級祝日
4番: Cunctipotens Genitor Deus<クンクティポテンス・ジェニトル・デウス>...二級祝日
5番: Kyrie magnae Deus potentiae<キリエ・マグナエ・デウス・ポテンティエ>...二級祝日
6番: Kyrie Rex Genitor<キリエ・レクス・ジェニトル>...二級祝日
7番: Kyrie Rex splendens<キリエ・レクス・スプレンデンス>...二級祝日
8番: De Angelis<ディ・アンジェリス(天使の)>...二級祝日
9番: Cum jubilo<クム・ユビロ(悦びと偕に)>...聖母の祝日
10番: Alme Pater<アルメ・パーテル>...聖母の祝日
11番: Orbis factor<オルビス・ファクトール(天地の創造主)>...年間主日
12番: Pater cuncta<パーテル・クンクタ(万物の父)>...三級祝日
13番: Stelliferi Conditor orbis<ステルリフェリ・コンディトル・オルビス>...三級祝日
14番: Jesu Redemptor<イエズス・レデンプトル>...三級祝日
15番: Dominator Deus<ドミナトル・デウス>...降誕祭
16番: タイトルなし...週日
17番: タイトルなし...待降節四旬節主日
18番: Deus Genitor alme<デウス・ジェニトル・アルメ>...待降節四旬節の週日

 

暴戻(ぼうれい) 道理に反する行為をすること
釁る、衅る(ちぬる) 刀剣などを血で汚す
囲繞(いじょう、いにょう)周りをとり囲むこと
蕩尽(とうじん)
孜々(しし) 熱心に務める様
梟雄(きょうゆう) 残忍で勇猛であること
貪婪(たんらん) きわめて慾の深いこと
戟叉(げきさ) 人を捕える為の道具
滔々懸河(とうとうけんが) 弁舌を振うこと

闡らか(あきらか) 明らかにする
indignant 憤慨した
anoint 聖別する
描破(びょうは) あますところなく描きつくすこと
夢寐(むび) 眠って夢をみている間
対晤(たいご) 面会すること
瘋癲(ふうてん) 精神疾患
犀利(さいり) 才知などが鋭いこと
剔抉(てっけつ) えぐり出すこと、悪事や矛盾を暴き出すこと
一気呵成(いっきかせい) 一息に文章を完成すること
媾わる(まじわる)
媾曳(あいびき) 男女が忍び会うこと
済度(さいど) 困難や疲労から救うこと、「済度し難い」と使う
寥寥(りょうりょう) 空虚なさま、数が非常に尠いさま
塵労(じんろう) 俗世の煩わしい苦労
翩々(へんぺん) 軽々しくて落ち着きのないさま
眷戀(けんれん) 恋焦がれるさま
幽婉(ゆうえん) 奥深く味わい尽きない、幽玄である
倉皇(そうこう) あわてふためくさま
錚々たる(そうそうたる)
墨客(ぼっかく) 絵描き
啾啾(しゅうしゅう)ものがなしく泣く、響くさま



 

『Hark! The Herald Angels Sing(あめにはさかえ)』カトリック聖歌集652番

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本日の主の降誕ミサの入祭唱。私にとってクリスマスキャロルと云えば、この『あめにはさかえ』か『よのひとわするな(God Rest You Merry, Gentlemen)』になる。対譯は原詩に忠実なものにした。カトリック聖歌集のものと異なるため注意されたい。

 

1 Hark! the herald angels sing,
聞け、御使たちの歌

"Glory to the newborn King:
「生まれ給ひし主に栄光、

peace on earth, and mercy mild,
地には平和と憐憫(あはれみ)、

God and sinners reconciled!"
神と罪人は和解せり」

Joyful, all ye nations, rise,
悦びに、諸人よ立ち、

join the triumph of the skies;
天の勝利にいさ加はらむ

with th'angelic hosts proclaim,
主の御使斯く告げ給ふ

"Christ is born in Bethlehem!"
「救主、ベツレヘムにて生まれ給へり」
Hark! the herald angels sing,
聞け、御使たちの歌

"Glory to the newborn King"
「生まれ給ひし主に栄光」

 

動画はロンドンのセント・ポール大聖堂のものだと記憶している。何とも美しく、視聴によって、しみじみと主の降誕の悦びに浸ることができる。
日本で美しい聖歌を聴くことは、もはや難しい。尤も聖歌は祭儀を芸術的なものにするための飾りではないのだから、美しくある必要はない。
だが私は寂しいのだ。髙田三郎氏の生涯を懸けたミサ曲をおざなりにし、あのように低劣な旋律を用いるのは。
京都の河原町教会でウィリアム・バードによる四声のミサ曲を聴いた時の感動を兄弟と頒つことは叶わぬのか。